top of page

● 「中空構造」について

 

日本は「中心を持たない国」と言われる。

 

日本人の文化的精神の元型である神話「古事記」には度々三柱の神が登場するが、その中に必ずと言っていいほど「存在するが物語られない二番目(真ん中)の神」が存在する。

(例を挙げると、イザナギの3子 ①アマテラス(天)②ツクヨミ(月)③スサノヲ(地)の場合、アマテラスとスサノヲの対立が中心となって描かれ、ツクヨミには触れられない / ニニギ・コノハナサクヤヒメの3子 ①火照命(海幸)②火須勢理命③火遠理命(山幸)の場合は、②について触れられない)

 

宗教観も独特で、ユダヤ教やキリスト教においては、神とサタンによる「絶対的な善 VS 絶対的な悪」の対比が明確であるのに対し、日本神話では完全にどちらかを善や中心として規定せず、時にはどちらかが善に見えても、次に適当な揺り戻しによってバランスが回復される。(例えば、スサノヲが時に荒々しい乱行で天から追放されたり、時にヤマタノオロチを討伐する救世主になる)

 

また、思考法や価値観についても、西欧のキリスト教・リーダーシップ・固有のアイデンティティーは、強力な「中心」に統合を行うモデルである。そのため、中心への結合に必要な原理や力が要され、絶対化された中心は相容れぬものを周辺部に追いやる。統合された強さを持つが、それは常に他に対して自己主張し、自己防衛のためにエネルギーを費やす。

 

一方、日本においては「空」を中心とするため、どちらかを根絶するような決定的な戦いを避け、対立するものの共存を許すモデルとなっている。(例えば、日本人は外来の宗教である仏教や儒教とも決定的な争いを起こすことなく、一時はそれを中心に取り入れたように見せながら、結局はそれらを日本的構造に取り込み古来の神教と共存させる等、常に何かを中心に据えることはしなかった。)

 

つまり、日本では一時は何かを中心に置くように見えながら、次に対比するものの揺り戻しによりバランスを回復し、中心の空性を守る働きが繰り返される。そのような日本人の心の深層を、河合隼雄氏は神話におけるプロトタイプから明示し「中空構造」と提唱した。

スクリーンショット 2022-09-12 17.18.08.png

● 両足院と中空構造

 両足院の禅の特徴である周辺との境界を「無」にし、「間」を抜くという概念は、内と外を分けたり、中心を固定することのない「中空」の状態にあると言い換えることができる。

 

 また、前回までは触れなかった両足院の座禅のもう一つの特徴に、座して「動かない」ことに努めるのではなく、適度に「体を揺らす」ことを推奨される点が挙げられる。

 体を揺らし、徐々にその揺れを小さくすることで自分の体の中心・軸が自然と落ち着くのである。この点も河合隼雄の指摘する中空構造の「揺り戻しによるバランスの回復」モデルと相似している。

 

 また、河合隼雄は直接触れていないが、日本は建築においても、中と外の境界が曖昧で「中心をもたない」構造が多い

 

 今回展示する両足院も、方丈・書院・茶室・庭園・毘沙門天堂から構成されるが、どれが建物の中心と規定することは難しく、法要にいらした方にとっては方丈、座禅体験にいらした方は書院や広縁、茶席にいらした方はお茶室、と来場者の目的によって中心が揺れ動く

 

 襖や障子を付けたり外したりすることで空間が伸縮し、自在に形を変えたり、縁側のように屋内と屋外の両面の性質をもっていたり、入口が複数あり建物の正面が不定である点も「中心の曖昧さ」を強調する。

 

 以上のように、両足院は概念的にも建築的にも「中空構造」が多く見掛けられ、今回参加する作家たちについても、一つのコンセプトや手法に固執せず、様々なコンセプトを揺れ動きながら多様な表現を行い、中心にある透明な身体や生命の存在を感じさせる作品であるため、今回のテーマを「中空構造」に据えた。

 


 

●  本テーマを選んだ背景

※ あくまでもYOMAFIG.の企画背景であり、作家や鑑賞者の皆様に押し付けるものではありません。

 明治維新以降、列強に追いつこうとした日本では「中心の曖昧さ」が成長を阻害する「弱さ」として否定的に捉えられた。「中空構造」は善く働く時には周辺を作らず、対立するものを排斥せずに中心を守る協調型モデルであるが、他方、悪意あるものに中心への侵入を許すと、極端な思想になし崩し的に煽動されたり、責任の所在が不明瞭な無責任体質を招く。

 

 そして、中空構造の負の側面が働き大戦に突入してしまった日本であるが、敗戦後は資本主義という中心を富ませるために周辺を作り搾取する「中心主義」へ飲み込まれていった。

 

 今、世界秩序の中心であった国連常任理事国による国際法違反の戦争や、中心主義に疲弊し切った周辺と分断社会、人間中心の開発による環境破壊、異常気象がもたらした「そもそもの中心」地球の崩壊など、日本だけでなく世界の中心が不明瞭になり、消失しつつある。

 

 それでも日本人である私たちの深層にはまだ「中空構造」が残っていると感じている。このような世界全体が中心を失い「中空化」しつつある現世だからこそ、改めて私たちの中にある「中心の空性」を見直す必要があるのでないだろうか。そして、その善い側面が限界を迎えつつある世界に一石を投じ、地球のバランスを回復させることを願ってやまない。

bottom of page